『バッテリー(6)』

バッテリー〈6〉(教育画劇の創作文学)

バッテリー〈6〉(教育画劇の創作文学)

昨日も書きましたが、勿体無くて少しずつ読んだ最終巻。
カバーの折り返し(っていうの?)のところにある『おれでなくても、投げられるか』『投げられる』ってところからもうドキドキしました。バッテリー同士の馴れ合いとかじゃなくて、ピッチャーとして、キャッチャーとして巧と豪が存在するのが好きなのですよね。中学野球の話なんだからもう少し爽やかでもいいと思うくらい『バッテリー』ってドロドロしている気がする。ピッチャーとして天才的な才能を持っている主人公からして不幸。(『バッテリー』を読んでるとどうしてもそう感じてしまう)才能があることは羨ましいけど、それゆえの不幸というか苦悩はできれば受けたくない。キャッチャーである豪も巧の不幸を一緒になって受けてる感じ。


バッテリー二人が不幸に巻き込まれている感じがするせいか、沢口とか東谷がからんでくるあたりは青春小説のように爽やかになって癒される気がします。あと自然の描写とか。なんでもないことが眩しく見える。
世間では瑞垣が人気なのでしょうかね?私は新田東の海音寺が割と好きだったりします。多分一番常識人だと思うんですが、瑞垣が要注意人物に指定するくらい時々するどい指摘とか行動をするあたり。
楽しく読ませていただいた最終巻ですがやはりこれでおしまいって言うのは物足りないかな〜せめてあの試合の結末だけでも読みたかったかも。